東八幡神社について

東八幡神社は鎌倉の鶴岡八幡宮より住民の守護神として応神天皇(誉田別命)を祭神として勧請し、その創建は鎌倉時代の建長二年(一二五〇年)と伝えられる。当時、鎌倉から奥羽、常総への本道は、多摩川を平間の宿より矢口へ渡って奥地へと向かうもので、本道に近い村々には鎌倉八幡宮の末社として多くの八幡社が建立されたという。古市場村には、領家八幡宮(西八幡)もあったが、明治四十四年に東八幡神社に合祀された。
東八幡神社は古市場村の東部に鎮座し、多摩川の北岸で流れに近くはあったが大洪水による被害を受けることもなく、二千平方米に及ぶ境内には杉の大木が数十本欝蒼として茂り、その奥深い所には小さい茅葺の社殿があった。安政末年(一八五九年)から文久年間にかけて、腐朽した社殿新築の資金を得るため、樹齢五百年の大杉一本を神木として残し他を伐採売却、氏子一殿の寄付金と合わせて総欅造り五.五米四方の立派な社殿と奥殿を造営した。明治七年四月には村社として社格を得、大祭日には奉幣使が立つことになった。
明治三十五年に社殿の大改築が行われ、屋根を瓦葺として社殿の周囲に石垣をめぐらし、新しく狛犬一対が献納されたが、惜しくも昭和二十年四月十五日の大空襲によってその一対の狛犬だけを残し、全ては灰燼に帰してしまった。終戦後、氏子総代の尽力により仮社殿が建てられたが、本建築再興は全氏子の願望にもかかわらず戦争の創痍のため実現の運びに至らなかった。昭和四十六年機漸く熟し、新社殿建設を氏子の総意を以て決定、直ちに募金活動に入り、翌四十七年四月、鉄筋コンクリート神明造りの荘厳なる社殿が竣工された。平成十二年(西暦2000年)にはかねてより念願であった氏子青年会が結成され、平成十六年には神輿新調に合わせての神輿庫の新築、そして優雅なたたずまいの朱塗りの社殿へと一新された。また平成二十八年には氏子の奉賛により、老朽化していた社務所が新築され、古市地区住民の交流の場としても大きな役割を果たしている。