お知らせ
5年ぶりに開催された例大祭は夏祭りにふさわしく、猛暑の中にも関わらずたくさんの方にご参加いただきまして有難うございました。
これからも古市地区の氏神様である東八幡神社をよろしくお願い致します。
東八幡神社氏子青年会
東八幡神社氏子青年会は、神社を中心に集まった青年の組織であり、氏神様や東八幡神社の発展に寄与しながら、地域の発展を進めることを目的としています。
御祈祷のご案内
東八幡神社では随時七五三などの御祈祷をお受けいたします。
当社は宮司が常駐していないため本務社の徳持神社へのご連絡をお願いいたします。そちらにて御朱印の授与もしております。
電話:03-3751-2612
東八幡神社の神様
弁財天は七福神の紅一点の女神様として、音楽や芸能・芸術・商売繁盛・豊穣・繁栄・交通安全・恋愛成就・子孫繁栄・長寿にご利益があります。
また、水に関連している神様として、水に囲まれた場所で多く祀られていて、日々の生活の質を上げてくれる、幅広いご利益を授かることができる万能な神様です。
東八幡神社 扁額の隠れハート
参拝していて意外と気がつかないのが、東八幡神社の扁額の隠れハートです。そこには黄金のハートが6つもあります。参拝後にこの写真を待ち受けなどにすることで、きっと多くのご利益を授かれると思います。ぜひSNSなどにも投稿してみてください。
激しい空襲にも耐えた
境内で唯一残った狛犬
昭和20年4月15日(1945年) の深夜に、米国の202機もの大型爆撃機B29が東京都大田区のほぼ全域に飛来するほどの大規模な空襲がありました。
その城南大空襲により、現大田区の南側に位置する蒲田区は、区内の99%が焼失されたといわれています。
増加傾向にあった町工場の多くが、軍需工場の下請けの部品工場だったためターゲットとなったとも言われています。
そして当時木造だった多摩川大橋すらも焼け落ちる程の悲惨な状況の中、東八幡神社の境内で唯一残ったのが1対の狛犬です。御神木として祀られていた樹齢600年の大杉も灰燼に帰してしまいました。
当時の狛犬は綺麗な白色でしたが、B29の空爆により焼け焦げて今の色になりました。
日頃見慣れていて、気にもかけないようなものも、歴史を知ることでその見方も変わってきますね。
東八幡神社の歴史
東八幡神社は鎌倉の鶴岡八幡宮より住民の守護神として応神天皇(誉田別命)を祭神として勧請し、その創建は鎌倉時代の建長2年(1250年)と伝えられています。
当時、鎌倉から奥羽、常総への本道は、多摩川を平間の宿より矢口へ渡って奥地へと向かうもので、本道に近い村々には鎌倉八幡宮の末社として多くの八幡社が建立されたとされていて、古市場村には、領家八幡宮(西八幡)もありましたが、明治44年に東八幡神社に合祀されました。
東八幡神社は古市場村の東部に鎮座し、多摩川の北岸で流れの近くにありながらも大洪水による被害を受けることもなく、2000㎡に及ぶ境内には杉の大木が数十本欝蒼として茂り、その奥深い所には小さい茅葺の社殿がありました。
安政末年(1859年)から文久年間にかけて、腐朽した社殿新築の資金を得るため、樹齢五百年の大杉一本を神木として残し他を伐採売却、氏子一殿の寄付金と合わせて総欅造り五5.5m四方の立派な社殿と奥殿を造営しました。明治7年4月には村社として社格を得、大祭日には奉幣使が立つことになりました。
明治35年に社殿の大改築が行われ、屋根を瓦葺として社殿の周囲に石垣をめぐらし、新しく狛犬一対が献納されまたが、惜しくも昭和20年4月15日の大空襲によってその一対の狛犬だけを残し、全ては灰燼に帰してしまいました。
終戦後、氏子総代の尽力により仮社殿が建てられましたが、本建築再興は全氏子の願望にもかかわらず戦争の創痍のため実現の運びに至りませんでした。
昭和46年機漸く熟し、新社殿建設を氏子の総意を以て決定し、直ちに募金活動に入り、翌47年4月、現在の鉄筋コンクリート神明造りの荘厳なる社殿が竣工されました。
平成12年(2000年)にはかねてより念願であった氏子青年会が結成され、平成16年には神輿新調に合わせての神輿庫の新築、そして優雅なたたずまいの朱塗りの社殿へと一新されました。
また平成28年(2016年)には氏子の奉賛により、老朽化していた社務所が新築され、古市地区住民の交流の場としても大きな役割を果たしております。
<- 東八幡神社復興記念碑より抜粋 ->
交通のご案内
〒146-0093 東京都大田区矢口3-17-3
大きな地図で見る